わたしがファッションのアドバイスをするパーソナルスタイリストになるまでの実話! | 代官山 パーソナルスタイリスト協会

わたしがファッションのアドバイスをするパーソナルスタイリストになるまでの実話!

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これは2015年にお店を手放し自分の新しいビジネスの立ち上げを模索していた時のことです。

最初はウェブサイトを作り広告を貼り付けて紹介料なりを得るアフィリエイトに取り組みました。

これなら家にいてでき、資金もかからないと真剣に作業しました。

もうこれしかないと腹をくくってのことです。

後に引きことなどできず、それこそ血眼になって努力しました。

そして成果はと言うと、1年で月収10万円。

2年目で月収30万円。

3年かかってようやく月に50万円を超えるようになるも、検索エンジンのアップデートがあり、サイトの順位が下がりあっという間に月に10万円ほどに収入が下がってしまいました。

ネットビジネスでお金を稼ぐ、という難しさを経験したのです。

その後は自分に合ったスタイルのビジネスをしたいと考え模索する毎日。

それでは生活できないので、アルバイトも始めました。

深夜のコンビニ。

工事現場の作業員。

肉体的にハードであり「なんで俺こんなことやってんだろう?」と自分の人生に納得がいかない毎日を送っていました。

しかし、仕事場では「森田さんなら」といろんな仕事を任されるようになりました。

コンビニでは「森田さんが来てから高校生のアルバイトの様子が変わってきました」と言われることもありました。

それはそうです、「おれは経営者であり会社の看板をしょってんだから同じにしないでくれ!」と心の中で思っていたからです。

なめんじゃねーよ!

そんな生意気なことをつぶやいておりました。

「だったら自分のビジネスを軌道にのせろよ」これまたもう一人の自分がわたしにつぶやいています。

何としても自分のスキルで食べて行けるようになる。

これがわたしの根本にあった考えでしたので、再就職することなど全く考えられることではなく、自分の中での選択肢には上がりませんでした。

相している間には親戚から「いつまで売れない芸人みたいなことしてるんだ!」とか「嫁を泣かせるなよ、心配してるぞ!」などと言われることもありました。

わかっている。

わかっているけど仕事が進んでいかない。

マインドブロックのようなものがかかっていたのかもしれません。

もし天職というものがあるのであれば、当時考えていたのはわたしの天職ではなかったため進む道ではなかったからなのかもしれません。

その時の心情は、昔の囚人が縞の服を着てチェーンの先に重たい鉄の球を足につながれたような重たい足取りで生活しておりました。

こうした経験は、後々に何かうまくいかないときの心境はこうしたものなんだぞ。ということを忘れないための戒めであり、天から授かった素晴らしい出来事であるかもしれないと、今だからこそ思うことができるようになりました。

そうしてもがき苦しみながら見つけた仕事がメールマーケティングを会社に導入するコンサルタントのような仕事でした。

会社を経営してきた実務経験があり、オンラインもそれなりに詳しいことで作り上げた仕事でした。

その仕事では、クライアントさんがメールで300万円を売り上げるという実績作りのお手伝いをさせていただきました。

そうこうする中で心の奥底にあるのが天職という言葉です。

自分に与えられた仕事は何なんだろう?

こう考えるようになりました。

その後はこれまでの自分の経験をすべて書き出し、それらを組み合わせることで出てきた答えが、経営者のためのファッションアドバイスという仕事でした。

わたしは人に相談するのが苦手という変わった性格の持ち主であったため誰かに悩みを打ち明けることができずにいましたが、思い切って、それこそ学生時代に好きな女性に告白する時のように口の中がカラカラになりつつも相談してみると「いいじゃんそれ、お前にあってるよ!」とおおよその人が答えてくれました。

ファッションなんて。。

お店を手放したときに「もうファッションはこりごり」と思っていましたが、20年かけて様々な経験をさせてくれたアパレル業界は私を活かすフィールドであることを知ったのです。

このようにブレブレでパーソナルスタイリストという仕事にたどり着くまでに5年ほどの歳月がかかりました。

今ではこれがわたしの天職の一つ、と考えるに至りました。

これがわたしが苦悩しつつも自分の信念である 自分のスキルで成功する を曲げずに周りに何と言われても心折れずにやってこれた経験です。

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